桐について 
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  桐と日本人




(桐と日本人)
 桐材は、湿度に敏感に反応して外から湿気を防ぐほか、発火度も比較的高く燃えにくいなどの特性を備えている。こうした性質から、桐箪笥には火事や水害にあっても中の衣類が無事であったなどという話がしばしば聞かれる。
 もちろん災害の程度問題であるが、このような話を生んだ背景には、日本人の桐に対する特別ば感情が存在したからであろう。


 桐の葉や花の形は、皇室をはじめ公家や大名家などの紋章のほか、貨幣や勲章などにデザインされてきた高貫でめでたい図柄である。
 また、桐の白木箪笥が一般化する以前から、桐は書画貴重品などを入れる箱材として用いられてきた。これなども桐が単に保存に適しているというだけでなく、材色が白く高貫な印象を与えたからであろう。


 さらに、家に女の子が生まれると庭に桐の苗を植え、後年娘が成長して娘入りする際に、その桐で作った箪笥を持たせて嫁がせたという話も桐の成長が速いというだけでなく、娘の幸せを願う親心が清浄高貫な桐に託されていたためでもあろう。
 また、もともと桐箪笥は高価なものであり、婚礼道具としてこれを持参することが、嫁入り前の女性の憧れともなっていたことも桐箪笥を賞掲する原因となったであろう。今日では以前のように婚礼箪笥といえば桐箪笥ということはなくなってきているが、それでも和洋の別なくほとんどの箪笥の内部に桐が用いられている。


   箪笥を語らづして桐箱語れぬ
箪笥の語源)
 箪笥は抽斗(ひきだし)式の収納家具を指すが、木ネのに何故か竹かんむりが当ててある。中国では「箪」も「笥」 もそれぞれ独立した言葉で、竹製の箱や食器を意味している。 この漢字が用いられる以前の安土桃山時代にはタ ンスは「担子」と書かれ、主に茶道具や武器などを入れて持ち運ぶことが出来る箱を指していた。 これは中国から きた熟語で、中国ではdanziと発音し、天秤棒の両端にかけた荷物の意味である。 
 このように「たんす」は持ち運び可能な小型の箱であったが、徐々に大型化し抽斗も付くようになり、その過程でいつしか「箪笥」の文字にすり変わったようだ 。
  その語源を辿ると、箪笥が普及する以前の江戸初期には、長持の下部に車を付けた「車長持」が流行していた。 火事の際、長持ごと運び出せるので便利であったが、明暦三年(1657)に起った江戸大火の時、皆が一斉に車長持を引き出したため路地がふさがれて大惨事が起きた。
 そのため幕府は、江戸、大坂、京都の三都で車長持の製造を禁止した。 その後、長持は棹を通して運べるタイプが主流になるが、箪笥にも棹を通して運べる構造が取り入れられ、一棹、二棹 … と数えるようになったのである。
 



(長 持)
素木の長持を雑長持又は木地長持と呼び、杉などでつくられるのが一般的であるが、これは総桐製の高級品で、造りも立派である総桐箪笥と一緒につくられ、揃いで嫁入りに持参された。

年代 :昭和初期
素材 :総桐
寸法 :W1820×D700×H740


(箪笥の登場)
 
衣類を収納する箪笥が登場したのは、今から約330年ほど昔、江戸時代の寛文年間(1661〜1673)に大坂で造られたのが最初と推測されている。
 その後、元禄文化が華やいだ頃、小袖の流行とともに衣裳箪笥も各地へ普及したようである。 しかし、当時、箪笥を持つ事が出来たのは上流階級の人達だけで、庶民は竹などで編んだ葛籠(つづら)・行李(こうり)や木製の櫃(ひつ)・長持と呼ばれる箱に衣類や家財道具を収納していた。

その当時の庶民生活は貧しく、箪笥を必要とするほど多くの衣類を持ち合わせていなかったのである。 箪笥は、物を整理して収納でき、出し入れも便利であるが、長持などの箱と比べると抽斗(ひきだし)が付くため材料が数倍必要となり、製作にも手間暇がかかる。
  そのため高価になり、貧しい庶民には手が届かなかった様である。 庶民にまで箪笥が普及するようになったのは江戸末期になってからで、箪笥 の歴史は思ったより浅い。
 
(船箪笥)
北前船などに積み込まれ、手提げ金庫として使われた。 外側は鉄金具で頑丈に保護されている。

年代 :江戸時代
素材 :欅、桐
寸法 :W360×D448×H415

   これも桐でつくられていた
(百目箪笥)
目玉のように丸い引手が沢山ついているのでこの名が付いた。
薬箪笥とも呼ばれる。
  

年代 :江戸〜明治時代
素材 :桐、桧
寸法 :W940×D185×H950